【離塁アウトに関する一考察】
(準優勝してくれた日本代表にはまた時間をとってたっぷりと。ありがとうヤンキー)
雨で1日順延となり、5月24日の月曜日に行われた第4節福山大会。その日の第1試合で戦ったHonda戦での勝利後、佐川急便の山根監督が「(この試合)前半いろいろあったが、勝てて良かった」とホッと胸をなで下ろす発言をしたことが翌日のスポーツニッポンに掲載された。その「いろいろあった」のいろいろというのがつまりはこの「離塁アウト」に関することであるのはおそらく間違いない。
<問題の場面>
場面は2死満塁、投手が投げた球はボール判定だったがこの時、三塁走者の那須のリードが投手がボールを離す前だったとして離塁アウトを宣告され、満塁のチャンスが一気に潰えたのであった。佐川急便の山根監督と喜多コーチの抗議の猛烈さは類を見ないほど激しいものだった。
<そもそも「離塁アウト」とは>
ソフトボール独特のルールとしてダブルベースや故意四球などいろいろあるが、その中でも重要なものとして「離塁アウト」がある。
~離累アウト~
①走者は投球が投手の手を離れるまで離塁できない。
②インプレイ中に投手がピッチャーズサークル(以下、サークル)内で球を持った時は、塁間にいる走者は次の塁に進むか直ちに現在の塁に戻らなければならない。
③ボールデッド中は走者は帰塁の義務があり、プレイ再開後もあえて帰塁しない場合はアウトが宣告される。
このうち③のような行為を行うような選手がいれば、離塁アウトどころか人生アウトでも何ら差支えない。問題となるのは①②のルールであり、そしてより本質的には①であろう。
<何のためのルールなのか>
上にも述べたが、あくまでこのルールの本質は①の場合であろう。盗塁や進塁のためにリードを認めれば塁間の狭いソフトボールでは全てがセーフになってしまう。かといって盗塁やエンドランを禁止することは競技の性質上できない。ゆえに「走っていいのは投手がボールを投げた後」という条件ができた。ただ連続したプレーの中では流れの中での走塁と、盗塁などを区別するため毎回その点をリセットする必要がある。そのための注釈的意味合いが強いのが②(および③)の条文ということではないか。
<このルールは厳格に適用すべきなのか>
ではこの離塁アウトのルールは厳格に適用すべきルールかどうか、である。個人的結論から言えば「必ずしも厳格に適用すべきではない」と考える。
このルールを厳格適用すれば、たとえば投球後にリードした走者が塁に戻る前に素早くサークル内にいる投手にボールを返せば離塁アウトを取られてしまう。もちろんルール上は「走者が帰塁する意思」を見せていればそれでアウトに取られることはないが、意思があるかどうかの判断などは塁審のさじ加減だ。「そんな馬鹿なことがあるか」と思われるかもしれないが実際にそんなことがあったのだ。しかもあろうことか世界選手権の決勝戦で起きているのである。北京五輪前のアメリカでの大会で、一塁走者の上西がライトフライで一二塁間ハーフウエイまで走り、捕球されたのをみて一塁にゆっくりと戻った。そして上西が一塁に到達するより一瞬早く、ライトからの返球がサークル内にいる投手に返球されると、塁審はそれをもって「離塁アウト」を宣告したのだった。7回一死からのプレーだったことからこれで併殺が完成し試合が終わるという、実に後味の悪い終わり方であった。
(※大会名や相手等記憶が曖昧なため後日確かめます)。
繰り返し言うがあくまでこの離塁アウトに関する規定は盗塁やエンドランなどの場面において、走者にリードを認めてしまうと全てがセーフになってしまうような状況をなくすためのものであると個人的には考える。ソフトボールが野球から派生した競技であることは明らかである以上、この二次的にできたルールの性質は容易に理解できるはずだ。もしソフトボールがもともと陣取り合戦のような遊びから発展し、ボール(手榴弾)を持った投手(敵)がサークル内(相手攻撃圏)にいる間、塁(自陣)に触れて(隠れて)いないとアウトになる(死んでしまう)という歴史的背景が元にでもなっているのなら、どのような状況でもそのルールを厳密に当てはめ、何が何でも触塁していろと言われても仕方がないとは思う。
しかしそんな歴史はどこにもない。上西がアウトになったような判定は、もちろん帰塁しようとしていた走者をアウトにするという完全な誤審ではあるがそればかりでなく、ルールの本質的でない部分を杓子定規に厳格適用するといった、ゲームを裁く審判として最も興ざめし誰のために何の特にもならない判定だったのだ。
<ルール自体のそもそも論>
そもそもソフトボールのみならず、スポーツにおけるルールとはどういうものか。僕は本質的に「3種類」あると思っている(アピールプレイかどうかといったことに関しては性質的に異なるのでここではもちろん言及しない。あくまでルール自体の本質的な問題として)。まず「そもそも厳格に適用すべきルール」と、「柔軟に運用すべきルール」だ。ストライクボールの判定や、プレーの流れの中でのアウトセーフの判定は当然「厳格に適用すべきルール」である。「盗塁やエンドラン時」における離塁アウトもこれに相当する。
投手のイリーガルピッチやルールで認められていない場面での審判への抗議などは「柔軟に運用すべきルール」であり、現にそうなされている。抗議権のないプレーに対し抗議をする監督はそれこそ毎試合のように現れるが、即座に退場させたりしないし、有無を言わさず1球目からしかも連続してイリーガルピッチを取ったりもしない。何度かは注意をするなりして改善を促し、それでも従わないあまりにもひどい場合にペナルティを課しているのが常だ。ルールはルールである以上厳格に適用しないとおかしいという厳格支持者でも、それが現実的ではないことくらいこれを見ればすぐわかるだろう。人間は感情の動物である。腹が立ったら文句の一つも言いたくなるのだ。だからといってルール違反の抗議に対しその都度退場勧告していては試合にならない。し、そうしていない現状は大いに正しいのである。何でもかんでも厳格にルール適用し始めたらば、それこそ長くても2回が終わるまでにはデンソーとトヨタの監督は毎試合ベンチからいなくなるではないか(笑)
以上、話が横道に反れた。
そして両極端のこの2通りがあるのなら、3つめの選択肢もあってしかるべしと思う。「本来は厳格に適用すべきルールだが、場合によっては柔軟に運用すべきルール」というものである。
離塁アウトという野球から派生したソフトボールで二次的にできた難しいルールにはこの3つの要素が合わさっていると思う。(1)盗塁やエンドラン時の離塁と、(2)サークル内の投手にボールが返されたときにまだ帰塁してない場合の離塁、それから(3)投球後に少しリードするといったような場合の離塁、である。今回話題の元とした佐川急便対Honda戦における三塁走者那須の離塁アウトの判定は、まさにこの(3)に当たる。
(1)の場合はその後の状況に即座に変化が生じるのだからもちろん厳格に適用すべきで、(2)の場合が生じるのはちょっとした気の迷いだったり躓いたりした場合だろう。目を瞑っても何ら問題はないしむしろ目を瞑るべきだ、(3)の場合は形的には(1)の離塁アウトと似ていることからアウトにしたい気持ちはわからないでもないが、しかし単にちょっとした投球後のリードが一瞬早かっただけの場合は、走者に注意を促すことで事足りる問題ではないか。しかも今回の佐川急便の場合は場面も場面だ。2死満塁での三塁走者の投球後のリードの一瞬の違いにどれほどの重みがあるのか。
一つのルールに対してこうも解釈を変えるのはルールを曖昧にすると思われるかもしれないがむしろ逆で、ルールの本質を理解して柔軟にルールを運用することこそ試合そのものを円滑に運営し選手やベンチをグランド内のプレイに集中させる手助けになると思う。
何度も言うが、ルールというものは杓子定規にすべてを厳格に適用すべきものではない。那須の離塁アウトを宣告した塁審がルールを厳格に適用することに信念を持っているのであれば、あれほど猛烈な抗議に来た瞬間に山根監督と喜多コーチを即座に退場にしていないとおかしい。そこまでやるのなら堅固な信念の持ち主なのだなと(賛同はしないが)少々呆れながらもその場では納得せざるを得なかっただろうが。
西京極球場での決勝戦7回裏3-0でルネサスがリード。対するトヨタは2死満塁で打者は伊藤幸子。2-3から上野が投げた渾身のストレートは120km/h。伊藤が人生最後の打席にかけた最高のひと振りは、このストレートを見事に打ち砕き、外野手が一歩も動けないような完璧かつ劇的な逆転サヨナラ満塁優勝決定ホームランになった!!
と思ったら、三塁走者の鈴木美加のリードがコンマ一秒早く離塁アウトで試合終了、逆転サヨナラどころかルネサスの優勝。(笑)
そんな結末は、どちらのチームの関係者もファンも見たくはないし、そしてそれ以外の全てのスポーツファンは誰も望まない結末だろう。こんな終わりかたを誰が見たいというのか。そんな人は一人もいない。
…、いや、よく考えたら少なくとも自分はすごく見たいかもしれない。
これは鈴木を例に出したのがまずかった(笑)
<最後に~離塁アウトに関する個人的感想(ほんね)>
さてルールの本質や解釈について拙い(半ば審判に対する言いがかりじみた)解説を行ってみたのだが、個人的にはこの「離塁アウト」に関してはそれ以上にどうも納得いかない部分を常にいくつか持ち合わせている。
そのひとつが「そもそも投手が投げた瞬間と走者が離塁した瞬間を瞬時に見分けることなど可能なのか?」ということだ。実は写真を撮ってみると多くの場合が「離塁アウト」に相当するようなスタートを切っているとも言われており、むしろ離塁アウトに関しては「よほど早い場合にのみ宣告」しているという状況であるのかもしれない。ただだからといってその逆がないとは限らない。取る取らないに関して個人差も大きいような気がする。取る人は取るし取る大会は取る。そんな印象が時々する(この福山大会では西山麗ですら離塁アウトになっていた)。
そしてもう一つ個人的に最も大事と考える点がある。そもそも誤審なんてものは人間がやる以上あって当然なのだが、その場合に重要なのは敵にしろ味方にしろそして第三者の観客にしろ、その状況をどれだけの人が確認したかという検証機能が働くことではないか。それがこの離塁アウトの場面では、そもそもほとんどの人は投手と打者に目を配っており(当然だが)、本当に離塁アウトであったのか誤審に近いものだったのかをほとんど誰も検証できないという点である。
「投手からボールが離れた瞬間」という条文はあたかもボールの動きと連動し他のプレーに関するものと変わりのない通常のルールのように感じられるが、現実にプレーを見ているものとしては、投手と打者との対決時に全く関係のない別の場所で走者がアウトになっていくという実に特殊なルールでもあるのだ。
だからこそ、離塁アウトというのは判定も適用ケースも慎重にしてほしいとファン目線からも思ってしまう。もちろん盗塁やエンドラン時に関してもそれが試合上重要な転機になることから審判の技術と信念で厳格適用し判定すべきだと思う。この試合や次の試合の塁審は僕が見た限りではあるがその点は信念を貫いた判定をどのチーム相手にも公平に行っていたからなんら不満は生じなかった。
だからこそ、あの那須の一件に関してだけは上に述べてきたような理由からもできるだけ鷹揚にルールを運用してほしかった思っている。盗塁のサインでも出ていれば味方は少なくとも検証できるのだが、毎回のリード時に離塁が瞬時早いかどうかなどそれこそ誰も見ていないし、もちろん僕も見ていなかった。批判すらできないブラックボックスなのだからこそ、また先に述べたルールの本質的な部分は何であるのかも考えて、できればアウトは宣告してほしくなかったのだ。
<2死満塁からの打者への投球時のリードで三走那須が離塁アウト。これに猛抗議する山根監督。喜多コーチの声も。逆にあまりの抗議の激しさに心配する那須本人と梅村主将。僕は監督が塁審に殴りかかってしまうのではないかと心配したほど。よく思いとどまったと逆に感心した(笑)>
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