2011年3月11日午後2時46分

2011年3月11日午後2時46分

 

 2011年3月11日、三陸沖を震源とするM9.0の大地震と、それに伴う大津波の影響により大勢の方が亡くなられました。今なお行方不明の方が多数おられ、また助かったものの避難生活を余儀なくされている方が大勢おられます。その全ての方々に、心よりお悔やみとお見舞い申し上げます。

 ソフトボール関係者の中にも家族が被災された人がいます。
 その彼女の家族は幸いにも、迅速で適切な判断により全員の命が救われました。ただ海沿いの実家はとうぜん津波の被害に遭いました。今はその家族を励ますためにチームのみんなからもらった衣類などを持って実家に向かってます。
 他にも家族や親類が被災された選手もおられると思います。チームとしてはTOETECKがまさに被災地に会社があり心配しています。ただ無事でいてくれるのを祈ってます。

 正直、こういう大地震、大津波が来るとしたら間違いなく自分の故郷でもある熊野灘を先に襲うと思ってました。いわゆる東南海地震と言われているもので100年周期くらいに起きており、故郷の沖20kmを震源とした1944年の地震で起きた津波の被害の話しは、小さい頃から祖父母や父親の話しとしてよく耳にしました。今後30年以内に70%、50年以内に90%の確率で来ると言われており、もはや現実のものとして覚悟はしています。
 そんな折りに起きた三陸沖の大地震。専門家もこの時期にこの場所でここまでの大きさを想定していなかったと言ってるように、もはや日本に住んでいる以上どこにいてもその危険性は避けられないのかも知れません。でも僕は海と山が形作る美しい海岸線に囲まれたこの国が大好きです。被災に遭っても秩序を崩さず忍耐強いこの国の人々も大好きです。それは変わりません。

 


 

 この地震の影響で多くのスポーツ大会が延期、または中止になり、この時期のソフトボール関係では一番大きいものとして高校生の選抜大会が中止になりました。ただ昨日(18日)センバツ高校野球の開催が決まったり、プロ野球の開幕が決まったりと、徐々に元に戻ろうとしています。
 良いことだと思います。東電の原発事故による電力供給量低下の影響下でプロ野球のナイターを行うのが問題になっていて、それは考えるべきなのかも知れませんが、しかしいつまでも自粛したりそういうムードが漂って何かをやることが不謹慎、というような風潮になるのはおかしいと思います。被災地でない我々は出来るだけ早く元の生活や経済活動を取り戻してこそ復興の支援もできるはずで、その象徴としてスポーツが行われることの意義はきっとあると思ってます。

 そういう意味で、実は高校ソフトボールの選抜大会の開催が震災後真っ先に決定されたのは勇気ある良い判断だったと思います。ただその決定翌日に男子の開催地である富士宮で震度6強の地震があっては、開催決定を覆しての中止の判断もやむを得なかったでしょう。
 それでもなお山口県で行われる女子の大会は開催する方向で動いていたようですが、時間をおいて最終的には女子も中止になりました。ほとんどの競技が中止になった高体連下の全体的な流れもあったのかも知れません。しかし他の多くの競技が批判を恐れたり事なかれ主義で決めたかのように即座に中止を決めたのとは違い、ソフトボールの中止決定に至るまでの過程は「なんとか子供達のために開催してやりたい」、という役員の気持ちが伝わってくるもので、決して消極的な中止ではなかったと思います。あそこまで頑張ってくれた上での中止なら、一生に一度の大会になるかも知れなかった選手や家族の人たちも納得できると思います。

 実業団のリーグ戦も4月9日のナゴヤドームからスタートします。震災から約1ヶ月経ち、被災地からも遠く、東電のエリア内でもないことから予定通り開催されるでしょう。ソフトボール協会も入っている日本トップリーグ機構でも出来るだけスポーツの試合は開催する方向で動くようです。野球やサッカーなどのメジャースポーツのように影響力はありませんが、ソフトボール関係者もファンも含め、今までと同じようにソフトボールを楽しめる幸せを噛み締めながら、被災者の手助けになれるようなことをみんなで少しずつでも出来ればと思います。

 


 

 自動車を運転し北陸まわりで宮城県の松島の実家に向かっていた彼女が、さっき実家に到着したみたいで、ネットに声を載せてました。

「宮城到着なぅ? みんなお待たせー? 元気いっぱい持ってきたよー?」

 やっぱりこの明るさがソフトボール選手の本当に素敵なところだと思います。
 被災した彼女の家族はもちろん、心配してたチームメイトやまわりの人たちもみんな絶対に元気になります。
 震災で家族を亡くされた方は今は絶望感しかないのかも知れません。でも生き残ってこれから復興の当事者になる人たち、それを支えていかないといけないまわりの人たちは、やっぱりこんな時こそ彼女のように元気を出して前を向いていかないといけないんだなと、強く感じました。早晩やってくる東南海地震でもし自分の家族が被災者の立場になったとしても、彼女の元気を思い出して頑張りたいと思います。

 国内国外を問わず多くの募金が集まり、それこそ世界中で日本を心配し支えてくれようとしています。同じ日本人として心から感謝もしながら、今後何年も続くであろう復興の手助けを同じ日本人として少しずつでも続けて行きたいと思います。
 そしてまたいつか、仙台でジャパンカップが開かれるときが来ることを心から願っています。

 

<高滝森山から見た宮古の美しい風景>

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