【ソフトボール五輪除外理由と再採用への道】
【ロンドン五輪が終わって…】
ロンドン五輪が終わった。
やっぱり自分も五輪とソフトボールに関してちょっとは何かを書きたいと思う。
でも正直、夏の五輪に関してはあんまり感心がないので、ここ何回かの五輪で何が起きたのかさっぱりわからない。というか全くわからない。
そもそも真夏にテレビの前にかじりつくよりは、外に出て冷たい川で泳いだりする方がチョー気持ちいいし、何ならあえて暑い中でマラソンなんかした方がすごく楽しい42キロだし、こんな自分だからホントは五輪についてなんかヤベエなんも言えねえ。でも何も書かずに読みに来てくれた人を手ぶらで帰すわけにもいかない。
それに今まで一度でも読んでくれた方ならおわかりかと思うが、僕は後方かかえ込み2回宙返り3回ひねりみたいな性格なので、122cmくらい中心から的外れで0点みたいな意見になってしまうのは避けられないが、しかしそれでも無理にでも何かを書こうと思う。そんな自分を初めて自分でほめたいと思う。
【野球とソフトボールが除外された理由(1)~本質的ではない理由】
北京を最後に野球とそしてソフトボールが五輪競技から除外された。理由はいろいろ取りざたされるし複合的な理由があることは確かだが、シンプルに考えて大きな理由は後で述べる一つである。
(1)「世界的普及度」?
よく、「野球もソフトボールも世界的に普及してないから」、というのを除外理由にしている意見を見るし現にIOCの理由の一つにもそう明記されている。しかしこれが真に大きな除外理由なら他にも除外されないといけない競技は多い。なぜ前回「野球とソフトボールだけなのか」という理由にはなっていない。テコンドーや近代五種も除外候補になっていたが除外されなかった。その2競技は「普及活動をしたから」なのは確かだが、それは健気な姿には映るがそれによって実際に広く普及したわけではない。
ソフトボール関係者ももちろん地道に普及活動は行っていたが、しかし根本的な問題として「五輪に採用されるには世界的に普及してないといけないと言っても、世界的に普及するには五輪に採用されていないと不可能」という、普及活動に関してはいかんともしがたいトートロジーが存在する。
もちろんだからといっていろんな人が地道にやっている普及活動を「無駄だ」と言っているわけではない。それらは非常に重要なことだが、それがもし花開くとしても20年後、30年後の話しであって、しかもそれらの地道な活動が下地にあったとしても、五輪競技に採用され継続して開催されて初めて「世界的に普及」することになるだろう。野球のような少数国でも人気のある競技ならまだしも、五輪競技にもなっていないソフトボールのようなマイナー競技が今後世界的に普及することは現実的にあり得ない。一にも二にも「五輪採用ありき」の世界的普及なのだ。そんなこと百も承知のIOCがそれを一番の理由として競技を除外するわけがない。それが大きな理由なら、そもそも五輪競技には最初から採用していない。
(2)「世界的人気」?
普及度と同じような理由だが、世界的な人気の問題もある。しかしサッカーが普及し人気を得たのには植民地支配の影響や帝国主義の影響が強く影響したのは否定できない事実だ。野球もそういう一面があるだろう。もちろんサッカーなどはサッカーというスポーツが持つ本質的な面白さ、理解しやすさもあると思うが、それ以上に「そもそも世界中で流行っていて強豪国が多いから面白い」という面も大きい。その世界中に普及した役割の中で植民地支配が果たした影響は否定できない。しかし現代ではそういう状況が考えられない以上、世界的に普及し人気を得るには残念ながら五輪採用がありき、なのだ。
(3)「アメリカ一国が強い構図が問題」?
もう一つ、前回の北京と世界大会での日本が優勝したように、「アメリカ一国が強いという状況の打破も大事」と言う人も多いが、確かにそうだがそれも副次的なものだ。今回の男子柔道を見ればわかるように、あれほど日本が強かった競技において日本はついぞ金メダルを一つも取れなかった。むしろこれは今まで日本が強すぎた競技が「世界的に普及した証」としての一つの到達地点なのだ。とにもかくにも、まずは五輪に採用され、五輪競技を続けて行くこと、その過程で世界的にも普及し、世界的にも実力が分散するのが現代のスポーツ界の必然ではないだろうか。
(4)「球場建設費および跡地利用問題」?
これもよく問題になる。ソフトボールはともかく野球の球場がその後活用されない、造っても無駄になるのが問題だ、というのだが、これがさっぱりわからない。
そもそも施設建設の問題で一番赤字をはき出すのはその後の「維持費」ではないか。長野五輪のビッグアップルも毎年億単位の赤字だったらしいし、日韓W杯で造ったスタジアムも維持管理で赤字らしい。そもそも造るだけなら建設需要でその国にとってはむしろ雇用を生み出すし、何なら野球場、ソフトボール場なんか仮設的に造って壊せばいいだけの話し。建設関係なんか無理矢理全競技分の競技場造ってるのを見ればわかるように、むしろ無理にでもお金を使いたいのが開催国の本音だろう。だから球場建設費を問題にしているのは少々頭の弱いスポーツライターだと個人的には思っている。
【野球とソフトボールが除外された理由(2)~本質的な理由】
(1)真の理由は「(野球が)五輪が世界最高峰の戦いになっていない」から
実際にIOCの会長もメジャーリーガーが参加していたら五輪からの除外はなかったと漏らしたらしい。個人的にもこれが唯一にして最大の理由だと思っている。
考えてみればわかる。
メジャー30球団、単純にその時期に40人のメジャー契約選手がいたとして合計1200人。日本のリーグもあるしキューバリーグもあるが、現実的にはメジャーが唯一にして世界最高のリーグ。その選手が1200人も五輪に出ないのだ。6割がアメリカ人なので、野球の祖国のアメリカではトップレベルの720人が五輪に出ないことになる。個人競技と団体競技の違いもあるし単純に人数では比較はできない面もあるにはあるが、しかしこんなに五輪を馬鹿にした競技は他にない。
もちろん五輪が最高の戦いとは言えない競技も実際には他にもある。しかしサッカーなどはあまりにも人気のある例外競技であるし、そのサッカーにしても年齢制限つけての世界最高峰の戦いを約束しているし、他の競技でも極力プロが参加し最高峰の戦いにしていこうとする姿勢が強く見える。頑なに拒否しているのは守銭奴の集まりである野球だけなのだ。正直そんな競技、除外されて当然だと個人的にも強く思う。
(2)ソフトボールの除外は野球除外の「とばっちり」か
ソフトボールは普及活動をおろそかにしたわけでもないし、五輪が最高峰の戦いであることも間違いない。それでも除外された状況を考えれば、野球除外の「とばっちり」以外の何ものでもない。しかしそもそもの問題として「一足先に採用されていた『野球とセットの扱い』だったからこそあの時期に五輪に採用された」というのも紛れもない事実。だから残念ながらこの除外は甘んじて受け入れるしかなかった。
【ソフトボールが五輪に復活するためには…】
論理的に考えて、一旦除外された競技が再び採用されるには「前回除外されたときの状況からこう改善しました。こういうふうに状況が変わりました、こう状況を変えました」という何か前進、変化、進化が無ければならない。それがなければ採用されることはあり得ない。
何も状況が変わっていないのに「採用して、採用して、採用して…」と念仏のように唱え続けて結果的に採用されてしまったら、それこそ「じゃあなんで除外したんだ?」ということになってしまう。
では一回除外されたソフトボールが、今後再び採用されるにはどうすればいいのか。問題を整理して考えると3つのパターンが考えられる。
一つ目はソフトボール側がやれること、二つ目は野球側がやれること(やらねばやらないこと)、三つ目は受け入れる側の環境が変わること、である。
(1)「ソフトボール側がやれること」
しかしずっと五輪を世界最高峰の戦いと位置づけ、16年間必死になって健気に参加し続けてきたソフトボール側が今後やれることというのは実はほとんどない。すでにやれることは最大限やってきたからだ。
そんなソフトボールがやれる唯一のドラスティックな改革が「野球と手を切ること」だった。
五輪に対しほとんど無関心で有り続ける野球とこれ以上組んでも埒があかない。野球は除外になった2008年から五輪に対する姿勢が良くなるどころか、(賛否あるが)WBCという別の世界大会まで新たに作りそこにメジャーリーガーを派遣しているような状態ではむしろ状況は悪化しているとすら言える。こんな野球と組んでいて今後復帰できる可能性はあるのだろうか?
今になって思えば、最初から「男女のソフトボール」として五輪への参加を目指しそして採用されていれば、こんな「除外」のような憂き目に遭うこともなかったと思う関係者も少なくないはずだ。僕もそう思う。しかし、野球と一緒になったからこそあんなに早期に五輪に採用されたわけだし、アトランタで五輪に採用されてからの16年間の熱戦と感動の数々を思えば、その歴史はとても否定できない。やはり野球と一緒になったこと自体は全ての関係者は後悔はしてないとは思う。
しかし「今後」である。本当に今後も野球と一緒のままでいいのかどうか。ISFのポーター会長も悩みに悩んだはずで、その証拠に「今後はダイヤモンドスポーツとして野球と一緒に五輪復帰を目指す」と決めるまでにかなりの時間がかかったし紆余曲折があったことが端から見ても伺えた。
それで出した結論が「野球と一緒に」ということだったが、確かにそうだろう。過去に野球と一緒に参加していながら、「今後は男女のソフトボールで」なんてことを言い出したら「じゃあ今まではなんだったんだ?」となる。野球と一緒に再びの採用を目指すよりも遙かに女子ソフトボールが採用される可能性は低くなるだろう。もちろん採用されなくてもいいから「男女のソフトボールで五輪を目指す!」という理想論も強かっただろうが、しかしもう一度野球と一緒に、という選択肢の方がはるかに現実的だ。女子ソフトボールの採用に関してはむしろそれ以外の選択肢はなかった。
(2)野球がやらなければいけないこと
先にも述べたが野球がやらなければいけないことは突き詰めれば一つ。「メジャーリーガーの参加」である。これがない以上、今後再びの採用はないし、つまるところ女子ソフトボールの採用もこれにかかっている。
しかし守銭奴だらけの野球人、特に守銭奴の宝庫のMLBがシーズンを休んでまでメジャーリーガーを派遣するとは到底思えない。悲しいかな未来は絶望的、お先真っ暗、なのだ。
しかし個人的には若干希望も見えている。
それが「野球人気の低下」である。日本では地上波放送の減少や視聴率の低下などで実感できるが、アメリカでもオールスターの視聴率が年々低下したり確実に人気は低下しているようだ。加えてヤンキースタジアムでサッカーの親善試合が行われたり、アメリカでのサッカー人気も年々増加している。この状況を守銭奴ではあるがそれゆえに金勘定にはあざといMLB関係者がどう見るか。もし正確に将来を見通せる大局的な視点を持てる指導者がいれば、「五輪にもメジャーリーガーを派遣して再採用を目指すような、本腰を入れた国際化を目指すしか未来はない」と考えるかも知れない。
かなり可能性は低いと思うが、逆説的ではあるが「野球人気の低下」が一つのキーワードになってくるような気がしている。
(3)受け入れる側の環境の変化
先に「論理的に考えて、一旦除外されたものが再び採用されるには“状況の改善が必然だ”」と述べた。
確かにそうだろうが、しかしそれはあくまで「論理的に考えて」の話しだ。
そもそもIOCの委員が「論理的に考えられるような人間なのか」という根本的な問題がある。噂にあるような賄賂で投票先が決まったり、五輪開催地の強い意向に左右されて投票を決めたり、状況が何にも変わっていないのに投票結果が変わるなんてことも大いに考えられる。
間違って違う札を投票してしまうような馬鹿がいないとも限らない。だから「倫理的に考え」れば状況の変化無しに再び採用される可能性は限りなく低いだろうが、しかしながら受け入れる側の委員の考え、受け入れ側の環境が勝手に変わることも考えられるので、何かの拍子に再採用されてしまうという淡い希望は持ち続けている、というのが個人的な結論なのだ。
【ソフトボールが五輪に復帰するまで(たとえ復帰しなくとも…)】
最後に若輩、ニワカながらも一ファンとしての意見というか、決意を述べたい。
ソフトボールが五輪に正式採用されていた期間が1996年のアトランタから2008年の北京までの4回16年間、アトランタ前を合わせるとたかだか20年間に満たない短い夢だった。
シオノギ製薬がソフトボールチームを作って以来63年目、トヨタ自動車が62年目、ほとんどの期間を五輪とは無関係ながらもチームを存続させてくれてきた。もちろんあの宇津木妙子氏も監督としての参加はあるが現役時代は五輪など全く無関係な選手生活だった。
そんな長い長い歴史が、多くの選手、関係者の今までの長い期間の努力の積み重ねがあった上に、あのアトランタ、シドニー、アテネ、北京があったのだ。
そんな五輪採用までの長い間ソフトボールを支えてくれた人たちの努力に報いるためにも、少しでも恩返しするためにも、もう一度ソフトボールが五輪に採用されるまで、いや五輪に採用されるされない関係無しに、これからもずっとソフトボールファンであり続けたいと思う。
そして不幸にも五輪選手にはなれない今現役の選手達の活躍を、ソフトボール協会さんやソフトボールマガジンさんの1000分の1程度かも知れないが、少しでも記録と記憶に残していってあげる手助けになりたいと思う。