【過去10年間の打者記録の変遷~その3:三振数の変遷、および全体の総括】

【過去10年間の打者記録の変遷~その3:三振数の変遷、および全体の総括】

 

【三振データを独立させた理由】
 これまでホームラン数の変化や、二塁打や死四球の変化を見てきて、そこでは「飛ぶバット」や「飛ばないボール」の導入の影響が非常に大きいことを指摘した。
 では、打者記録の一つである「三振」はどうかというと、他とは結果が大きく異なった。ただそれは当然で、三振はデータの本質的に他とは明らかに異なるのである。冷静に考えればわかるのだが、「三振」というのはそもそもバットに当てさせずに打者をアウトに取るための投手の努力の結果であり、バットに当たらない以上結局は「飛ぶバット」だろうが「飛ばないボール」だろうが関係ないのである。

 

【過去10年間の三振数の変遷】
 そんなわけで過去10年間の三振数増減の傾向を見てみることにする。


(1)2001年、2002年ともに1400近い奪三振数である。上野がデビューする前の2000年以前のデータがないのでそれ以前どれくらいだったのかわからないが、少なくとも2002年の「投手間距離の1m延長」では大きな変化は出ていないのがわかる。2003年にやや減少し1300を切るが、それでも高い水準を維持している。

(2)最も大きな変化が起きたのが2004年。つまりボールが黄色い革製に替わった年だ。この年一気に1000を切り計963個。前年から一気に302個も減少し、近年最多だった2002からは409個、約30%も減少した。

(3)2005年以降はやや増加するも2008年再び減少、2009年に一度増えるも2010年また減少と、増減を繰り返してはいるものの白いボール時代と比較するとかなり少ない値で推移している。

 

【結論~三振数の変化の傾向】
<1.大きく影響した黄色ボールの導入>
 以上のデータから、三振数が大きく変化(激減)したのは黄色いボールを導入した年であることがわかった。そして黄色いボールでなぜ三振数が減ったというのは、これはもう疑いなく「打者がボールを見やすくなった」からだろう。同じ打力の選手達が等しく視力が良くなったようなもので、当然全体の三振数は減少するに決まっている。

 

<2.ほとんど影響しなかった投手間距離の変更>
 そしてもう一つ重要なのが「実は投手間距離の変化はあまり影響がなかった」ということである。これはかなり不可解に思えるかも知れないし、最初は個人的にも驚いたが、実はそれほど不思議な話しではない。そもそも日本リーグでは速球でビシビシ三振を取るような投手がもともと多くはなかった。もちろんチャンジアップで空振りを取るための見せ球として速い球を持っているのは重要だが、それ以上にライズやドロップ、カーブなど変化球を駆使する投手が多かったのではないか。変化球投手にとって距離の延長は、ライズを得意とする高山樹里のように不利に働いたこともあれば、逆に変化が大きくなって有利に働いた投手もいたはずだ。それに、ミッシェル・スミスや上野由岐子くらい速ければ1mくらい伸びようが大して関係なかったというのもあろう。
そんなわけでこの「距離の延長」というのは、三振数の減少にはほとんと影響しなかった。減少どころかむしろ、微増したくらいだ。

 

<3.ボール変更の前後でほぼ一定値に収束>
加えて言うと、「白いボール時代は三振数が多く、黄色いボールに替わって三振数が減った」ということである。
 白いボール時代3年間の平均が1334個で、黄色いボール時代7年間の平均が1053個、約300個の違いがある。
以上。

 

【なぜメジャーやプロ野球で「4割打者」が出なくなったか、なぜ三振数がほぼ一定になるのか?】
 以上で終りなのだが、またしても蛇足を付け加えたい。上記結論の<3>について。

 はじめにも述べたが、三振のデータの変遷には、バットの飛ぶ飛ばないやボールの反発力は無関係である。純粋に投手と打者とによる「バットに当てること、当てさせないことに関する競争の結果」である。そして白いボール時代、黄色いボール時代ともに、それぞれほぼ同じような数で推移していることもわかった。

 そこで少し話はそれるが、野球の例を引用したい。メジャーリーグでは「最後の4割打者」であるテッド・ウィリアムスが4割を打って以来、約70年間も4割打者が出ていない。日本のプロ野球では4割打者は今まで一人も出ていない。それはなぜだろうか?
 もちろん短期的に見て、たとえば「8月は打率が5割を超えた」、などという選手なら大勢いるし、何百と打席に立ちながら打率が5割を超えるような高校生打者はいくらもいる。あくまで一流の選手が集まってたくさん対戦をした場合の記録ではあるが、それでも半世紀以上も打率がある一定のレベル(最高が4割を超えないとか)に収まるのは不思議な現象ではある。
 その謎を統計学的手法を用いて解明しようと試みたのが、ハーバード大学の古生物学教授で進化生物学者でもあった「スティーブン・J・グールド」である。世界的に著名な学者にしてレッドソックス本拠地であるフェウェイパークの年間シートを購入するほどの野球ファンでもある彼は、1世紀近いメジャーリーグの膨大は打率データを「フルハウス~生命の全容」という本の中で解析した。むずかしすぎて簡単にも説明できないが、結局言わんとしているのは「野球というスポーツ、つまり投手が投げ、打者が打ち、野手が9人で守るというシステムが成熟していく過程では、結局は競争の結果統計的性質上データの振幅は年々小さくなってある一定の値に収束していくのだ。そしてこれはつまり生物の進化の過程と同じである」ということだったと思う。

 野球の草創期にはたとえメジャーとはいえ選手間に実力差が大きく、それゆえデータにばらつきが出て4割打者も何人もいたが、洗練されてくると(つまり投手と打者との間に競争が繰り返されると)数値というのはある一定値に収まるということらしい。もちろん「4割」という数字は、投手が硬球を投げ、打者が木製バットで打ち、野手が9人で守るという野球のシステムから生じた、たまたまの数字でありそれ自体には大きな意味がない。金属バットにしたり、外野手が二人ならそれが5割になるかもしれないが、要するに同じシステムや条件で純粋に競争が繰り返されるとデータというのは自然と一定の値に収束する、ということなのだ。何とも単純である。

 それとほぼ同じ原理で、道具の変更といった外的要因が加わった場合は別だがそれ以外において、純粋に投手と打者との競争の結果である三振数というデータは、日本リーグのような一流選手の集う舞台での1年間の統計値については急速に収束するのだろう。


 

【最後に】



 今まで述べてきた3つのデータについてもう一度おさらいをして、このシリーズを締めくくりたい。
a.=2002年の投捕間距離、外野フェンス距離の延長
b.=2004年の黄色くて打者は見やすいが、飛距離の出ないボールの導入
c.=2005年以降の反発力の強いバットの導入とその後の改良

 

(1)二塁打数(安打や打点や死四球もほぼ同じ傾向)
a. 増加
b. 激減
c. 年々増加傾向

 

(2)本塁打数
a. やや減少
b. 激減
c. 年々増加傾向

 

(3)三振数
a. ほとんど影響なし
b. 激減
c. 白ボール時代に比べて低い値で推移

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