【2011/2012シーズンの引退・移籍・新加入選手~1部・その3(佐川、シオノギ、大鵬、戸田中)】

 ※表記は「(背番号/ポジション) 選手名 (在籍年数または出身校)」


【佐川急便】
退団選手:3人
   (22/OF)伊藤愛(2年)
   (23/IF&OF)高木美晴(20年)
   (25/IF)多田希(2年)
新人選手:3人
   (19/ P)梶岡祐女也(天理→天理大)
   (25/IF)永渕舞(佐賀女子)
   (28/IF)兵頭花帆(済美)

※退団選手
 20年近く現役生活を続けながら、内野も外野もどこでも守り、練習試合で投手が足りなければピッチング練習もしていた「永遠の若手」高木美晴が昨年をもって一時的休暇に入った。ソフトボールというスポーツが存在する限り、高木が引退することは物理的にあり得ないので一応「休暇」という表現を使うことにしたが、それが一番相応しいだろう(笑)。実はああ見えて(どう見えて?)、シドニー五輪前は日本代表候補にも堂々と名を連ねていたスピードのある好選手だった。しかしまだ中村歩や喜多監督は在籍するとはいえ、宗利美保に続いて高木がチームを去ったことで、ミキハウスから存続してきた佐川急便チームも一つの時代が終わった感が強い。
 伊藤愛、多田希はともに高卒2年目で若くしてチームを去ることになってしまった。多田は7打席に立ったが無安打、伊藤はリーグの打席に立つチャンスもなかった。一度でいいから打席に立たせてあげたかった。ちなみに、多田は高木と同じ母校の高松南、伊藤は岐阜女子でトヨタの細野了華と同期だった。
※新加入選手
 春のオープン戦では左腕の梶岡祐女也(ゆめか)がかなり試合で使われていたような気がする。天理大の好投手ということで大学時代から有名だったようだが、その噂に間違いはないようでなかなか良いピッチングをしていた。


【シオノギ製薬】
退団選手:5人
   ( 8/3B)宮幸代(7年)
   (10/CF)藤田恵(1+6年)
   (13/2B)紺野智美(7年)
   (14/2B)坪田佳奈(4年)
   (29/ P)松村歩(7年)
新人選手:3人
   ( 4/SS)横野聖奈(羽衣学園高)
   (27/ P)村上絵莉愛(福岡大附属若葉高)

※退団選手
 松村歩といえば代表クラスでも活躍してきた投手で、シオノギでは孤高のエースとして打線の援護がない中も黙々とひたすらに投げ続けていた姿が印象に残っている。たとえば2007年、シーズン最後の試合で順位を大逆転してシオノギは10位で1部残留を決めたのだが、その年は安福智が2勝、藤本珠貴が2勝3敗ながらエースの松村は1勝12敗だった。この数字だけを見れば松村が足を引っ張ったようにも見えるが、実際には藤本が4.85、安福が5.73の防御率なのに対し、投球回数100回を超えた松村が防御率1.65とリーグでもトップクラスで、この松村のがんばりがあったからこそ残留できたと言っても過言ではない。2008年には入れ替え戦で2勝してチームを1部残留に導き、2006年にはルネサス上野に投げ勝った試合も含め8勝をあげたこともある。紛れもなくシオノギを支えてきた大黒柱だった。そんな松村だが個人的には打席に立ちたかったようで、しかし2007年の2打席を最後にそれ以降はチーム方針で打席に立てなかった。チームを何度も救ってきた投手だっただけに、せめて1本、ヒットが出るまで打席に立たせてあげたかった。
 宮幸代のチャンスでの勝負強さは驚異的だった。2010年に一度 3割を打っただけで他の年はずっと2割ちょっとの打率だったのだが、まさかそんな低い数字だったとは思えないくらい打席での存在感は大きかった。他のチームの主力からも一目置かれていた勝負強さで、常にバットの芯で捉えた強烈なライナーを放っていたイメージが強い。サードの守備も基本に忠実で堅実、もっともっと評価されて良い選手だった。
 その宮と同じくらい大きな存在だったのがキャプテンの藤田恵。高卒後の1年間は大鵬薬品に所属し、その後大阪国際大を経てのシオノギ入り。ガッツを前面に押し出して先頭に立ってぐいぐいとチームを引っ張っていく姿は、大人しい選手の多いシオノギにあってはとても頼りがいのあるキャプテンだった。7年目の昨年が25安打で打率0.342とキャリアハイだっただけに、宮とともに引退してしまったのはシオノギにとってはあまりにも大きな痛手だ。
 紺野智美、坪田佳奈は体型的にもどことなく似たタイプの選手で、二人ともセカンド。なので最初の頃はこの二人をよく間違えてしまっていた。ずっと競争するように試合に出て、2009年には紺野が14試合で23打席、坪田が15試合で25打席と、ほとんど同じような出場機会では、これは間違えてしまっても仕方がない(笑)。その紺野の6年目での大飛躍は目を見張るものがあった。前年16打数1安打の打撃成績が2010年は62打席で18安打、3割4分6厘と突如打つ方で大ブレイクしたのだ。翌2011年は33打席で1安打と元に戻ってしまったあたりが何とも紺野らしいが、しかしこの紺野と坪田の二人、ともに飛び抜けたセンスがあるわけではないが、少しずつ少しずつ努力をして一歩ずつ階段を上って成長していくという、いかにもシオノギらしい選手達だった。
※新加入選手
 安福智という絶対的なエースがいるが、しかしその安福をサポートし休ませるためには一人でも二人でも多くの投手が必要。新人の村上絵莉愛にも比較的早くチャンスが回ってくることになるだろう。ショートを守る横野聖奈は球際に強いなかなかセンスのありそうな選手だ。


【大鵬薬品】
退団選手:3人
(11/CF)上釜恵(2+4年)
(15/IF)浜田京香(2年)→東女体大進学
(24/RF)中山亜希子(5年)
新加入選手:3人
(11/OF)片岡あい(高知丸の内高)
(15/IF)新井賢紗(済美→神戸親和女子大)
移籍入団選手:1人
(19/P)江本奈穂(京都西山高→ミキハウス→豊田自動織機→1年ブランク)
※退団選手
 ことある毎に書いてきたが、やっぱりここ数年は中山亜希子が日本リーグで一番好きな選手だった。大鵬薬品が1部復帰した2010年春のオープン戦トヨタカップの対トヨタ自動車戦、三振を取りまくっていたモニカ・アボットに対して普通にジャストミートしてレフト前ヒットを放った中山のバッティングにすっかり一目惚れしてしまったのが最初だった。軸のぶれないミートポイントの広いバッティングで、右にも左にも自在に打ち分け、その2010年に日本人2位になる4割6厘の高打率を残した。長崎の九州文化学園高から愛媛も宇和島にある愛媛短大を出て、当時2部だった徳島の大鵬薬品に入社。西九州から宇和島を経て徳島へというのは、明治7年、佐賀の乱で破れ明治新政府に追われて逃げた江藤新平とほとんど同じような西日本の縁(へり)をなぞるような東進ルートだ(もちろん中山は逃げたわけでもないし逮捕もされてない、笑)。そんな風に進んだソフトボール人生で、中学時代の日本選抜以外は中央ソフトボール界と接したことはない経歴ながらも、あの2010年の初めての1部参戦での大活躍。名門校出身者で強豪チーム所属の選手たちが肩で風を切る今のソフトボール界においては実に痛快な中山の大活躍だった。2011年は腰痛でオフにほとんど練習が出来ず大きく出遅れたが、それでも最終的には3割を打っていた。3年目となる今年は本格的な復活をととても期待をしていただけに、引退することを知ってとてもショックを受けたのを覚えている。腰が悪くて守れないとしても、バッティングだけでも十分過ぎるくらいチームに貢献できるのだから残るべきだと思ったのだが、しかし比較的少人数で練習をしている大鵬薬品では、練習ですら守れないことがある自分がチームにいること自体がとてもいたたまれない気持ちだったに違いない。
 甲賀医専で2年、大鵬で4年活躍した上釜恵もユニフォームを脱いだ。センターの守備も堅実で、俊足を生かしたスラッパーだったが、2010年の第2節ではデンソーの染谷からホームランも放った。チームメイトもビックリしたホームランだったようだが、確かに上釜のホームランは意外、見たかったなあ。
 富山の滑川高出身の浜田京香は主に代走で活躍した選手。2010年に引退した北原史織と同じように、今年からは東京女子体育大に進んでまだまだソフトボールを続けることになった。ちなみに滑川高出身には1年後輩で同姓同名の浜田京夏選手がYKKに所属している。
※新加入選手
 江本奈穂が現役復帰。1年のブランクがどうかと思ったが、春に見る限りではその影響を全く感じさせないピッチングで、むしろ全盛期に近づいているんじゃないかと思うくらい。江本が入ったことで、今年の大鵬薬品がリーグの優勝争いやベスト4争いに大きな鍵を握ることになったのは間違いないだろう。大鵬自身がベスト4に入る可能性すら出てきたと思う。
 新井賢紗はショート、ファーストを守れる内野手で、人数が少なく怪我人が多い大鵬薬品ではチャンスも多いだろう。高卒1年目の片岡あいも、足を生かしてまずは代走などで試合に出てくることになる。


 

【戸田中央総合病院】
退団選手:5人
( 3/LF)藤田奈央(3年)→東北福祉大コーチに
( 5/1B)尾崎亜耶花(3年)
(16/IF)助川真貴(2年)
(23/ C)吉田真由美(11年)
(26/IF)吉島凪砂(2年)
新加入選手:5人
( 1/LF)東福仁美(花咲徳栄高)
( 4/2B)村井美保(多治見西高→東海学園大)
( 5/SS)上原依万里(花咲徳栄高)
(12/1B)萩原瑠美(太田市立商高→山梨学院大)
(22/3B)内田秋音(伊那学園総合高)
※退団選手
 戸田中と言えば吉田真由美、というくらいチームの顔で、たとえ現役を退いてもずっとスタッフとして残っていくのだろうと思っていた吉田がチームを去った。2000~2010年の10年間においてはもっとも多くの試合に出場し、もっとも活躍した日本リーグ捕手である。アテネ五輪代表候補にも選ばれていた選手だったが結局は五輪選手になれずに終わった。普通に考えればアテネでは吉田が選ばれるべきであったのだが当時の監督が宇津木妙子氏だったことで、捕手には吉田ではなく自分のチームの乾絵美を抜擢した。当時ミキハウス所属だった田中幹子と並んで、宇津木氏の身びいきトンデモ選考に泣いた悲運の選手である。
 藤田奈央は2009年1年目からレギュラーを取った好守の外野手だったが、引退して母校東北福祉大のコーチに就任した。藤田といえば2009年第9節福岡大会の対太陽誘電。6回に8点を奪い5点差をひっくり返し8-5とした戸田中だったが、7回裏に2点を奪われ1点差になり迎えるはこの年10本塁打の記録を作った谷川まき。谷川が打った打球はレフトへ高く舞い上がり、誰もが逆転サヨナラ本塁打かと思った瞬間、藤田がフェンスについてジャンプし、ほとんどフェンスの向こうに倒れ込みながらもこのボールを奪い取ったのだった。母校に戻り、藤田のような良い選手をどんどん日本リーグに送り込んで欲しい。
※新加入選手
 5人が加入した今年の戸田中だが、助川真貴が抜けたショートに柳井春菜が回ることで空いたセカンドには新人の村井美保が入るようだ。萩原瑠美も即戦力として試合に出る機会が多いかも知れない。


【佐川急便】
<高木美晴>

【シオノギ製薬】
<松村歩>

<宮幸代>

<藤田恵(2011年開幕戦で激突しながらも同点のホームイン)>

<紺野智美>

<坪田佳奈>

【大鵬薬品】
<中山亜希子(2011年開幕戦、代打で出場しヒットを放つ)>

<上釜恵(2011年開幕戦)>

<浜田京香(2011年入れ替え戦)>

【戸田中央総合病院】
<吉田真由美>

<藤田奈央>

<助川真貴>

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