【ソフトボール日本リーグの選手移籍・その1 ~ 廃部と移籍】

【ソフトボールの移籍選手・その1 ~ 廃部と移籍】

世界的経済不況の影響から昨今実業団チームが消滅するニュースを耳目にする機会が多い。自動車関連企業の多いソフトボールにおいてもその荒波はいずれ押し寄せてくる避けられない災難であろう。しかしながら、ソフトボールは今までいくつもの部の廃部や親会社の交代を既に経験してきている。2008年、三島中央病院の廃部に身構えたファンも、ペヤングの新規参入には光を見いだしたのではないだろうか。そう、深く考えても仕方がない。何とかなる時はなるものなのである。深刻に考えすぎて将来に悲観的にならず、今までも廃部や消滅を乗り越えて発展してきた自信を選手もファンも常に楽観的に持ちたいものだ。良い方に考えればことは上手く運ぶものだから。
ここではこの10年間、その荒波を過去に乗り切ってきた当の選手達の通ってきた轍(わだち)を確かめ、未来への希望を少しでも見いだしたいと思う。

 

【廃部→チーム消滅】
親会社が廃部を決め、引き継ぐ親会社も現れないまま、チームが消滅してしまったケースである。
※選手名のうしろの(→○○)は、移籍先を示す

 

<1999年:松下電工・廃部>
安藤美佐子(→デンソー)
持丸朋子(→豊田自動織機)
福岡美樹(→デンソー)
戸潤愛美(→ホンダエンジニアリング)
藤井美穂子(→伊予銀行)

安藤は長年日本代表の遊撃を守り続け「世界一」と称された名選手。デンソーに移籍した後、現在はクラブチーム「湘南ベルマーレ」で監督兼選手を続けている。同じくデンソー移籍の福岡は廃部の99年にベストナインを獲得している。
持丸は数多くの代表選手を送り出した厚木商業の初代優勝メンバーで、実業団に入った後は入れ替え戦や所属チーム廃部、さらには織機に移籍後はレギュラーとしてリーグ優勝を経験するなど、リーグの禍福の多くを体験した。松下電工出身では最後の1部現役選手であったが、昨年限りで現役を退いた。
この他では野島留美がデンソーに、萩田有美(初代厚木商優勝メンバー)、今野真貴子喜多夕子戸潤とともに翌年2部に上がってきたホンダエンジニアリング(現Honda)に、山田雅美がNEC静岡(現NECアクセステクニカ)に、泉庸子がYKK四国にと、全国に散らばった(ちなみにその泉は後にホンダに移籍し、現在はHonda応援団として頑張っている。妹は元戸田中の選手)。藤井はその後伊予銀からデンソーに移籍し、新しいクラブチームを立ち上げた安藤に呼応する形でその後湘南ベルマーレに移籍した。

 

<2000年:日立工機・廃部>
中川原麻衣(→スルガ銀行)
小池裕子(→東邦銀行)
布川由佳(→東邦銀行)
長屋友姫美(→戸田中央病院)
平山薫(→YKK四国)

中川原は今や旧日立工機を知る現役唯一の選手である。日立工機の廃部後はスルガ銀行に移籍した。布川小池は東邦銀行に移籍できたが、果たして無事スルガ銀行、東邦銀行に移籍できた中川原小池布川の3人であるが、彼女たちにはこの後も不運が訪れる(後述)。
長屋はその後戸田中に移籍し、2002年からは日立マクセルに移籍。2006年、マクセルが最初に1部に上がった記念すべき年にレギュラーとして活躍して最後の花を咲かせた。
平山はこの後YKK四国に移籍したが、恐らく再び廃部を経験したのだろうか。長屋と同じく、後にマクセルに移籍し、2006年、再び1部選手になった。2007年までチームの主砲として大活躍だったが、その年に翌年の1部昇格を決めた後に引退し、2008年の1部の舞台は踏んでいない。

 

<2002年:ピンクパンサーズ(東邦銀行)・廃部>
小橋葵(→スルガ銀行)
菊池亜佐美(→Honda)
藤原麻起子(→東北福祉大)
前田智子(→太陽誘電)
小池裕子(→デンソー)
高夕子(→デンソー)
高橋千春(→スルガ銀行)

東邦銀行は2002年1部で11位の成績を残しながらこの年をもって廃部を決めた。ここに上げた7人はソフトボールファンにはよく知られた名前だろう。それぞれの移籍先でこの後活躍することになる。
藤原は今や日本代表クラスに成長した(藤原についてはその2の別項で詳しく述べる)。
菊池は現在Hondaを支える名外野手である。東邦銀行1年目から昨年まで8年間ずっとレギュラーとしての活躍で、2006年、2007年には1部で打率3割を超えた(0.340、0.311)。
小橋はスタミナ抜群の好投手であり、高橋とともにスルガに移籍するが、上にあげた中川原同様、この後再び不運が訪れる。
太陽誘電に進んだ前田の活躍も有名なところ。その後松崎と左中間を組み誘電の外野を鉄壁なものにしたが2008年限りで引退し、野球への挑戦を表明した。
小池は日立工機に続いてこれで2度目の廃部経験。この後デンソーに移籍し、2006年限りで引退するまで長く現役を続けた。同じく日立工機から移籍してきた布川はこの廃部をもってユニフォームを脱いだようだ。
松下電工津からNEC静岡を経て東邦銀行に移籍してきたは、2部でありながら長年好投手として活躍して名を轟かせていた。せっかくの1部移籍であったが東邦銀行に移籍して2年で廃部という憂き目に遭った。翌年デンソーに移籍したが、松下電工から移籍してきた藤井と同じく、安藤が立ち上げた湘南ベルマーレに移籍するため、1年でデンソーを去った。
ちなみに東邦銀行の監督は現デンソー監督の望月氏であった。

 

<2004年:サンデーベアーズ(スルガ銀行)・廃部>
中川原麻衣(→Honda)
小橋葵(→大鵬薬品)
中村瞳(→Honda)
高橋千春(→戸田中央病院)
高崎千恵(→日立マクセル)

捕手の中川原は日立工機に続いて2度目の廃部を経験する不運。この後、好守の若手として期待されたセカンドの中村瞳と共に1部のHondaに移籍し、今もチームを支えている。その中村は移籍後のHondaでは主将も努めることになる。
中川原と同じく、小橋高橋も東邦銀行に続いて2度目の廃部経験だ。小橋は東邦、スルガと両チームでエース級の活躍をしていた好投手であり、翌年1部復帰の大鵬に移籍しての活躍が続く。2007、2008年は2部での活躍だったがそれでも2008年は最多勝を獲得した。ただこの苦労を重ねてきた好投手も、昨年限りでユニフォームを脱いだ。
外野手の高橋は1部の戸田中に移籍しようやく落ち着いた。その後は毎年レギュラー格の活躍で、2007年には3割に迫る打率を残した。
内野手の高崎は淑徳大出でありこの年4年目。廃部後は他の主力選手が1部チームに移籍する中、同じ2部のマクセルに移籍した。その後2006年に初めて念願の1部選手になり、翌年2部落ちしたが2008年の1部復帰の力となった。

 

<2008年:三島中央病院(=関病院)・廃部>
鈴木碧(→大鵬薬品)
山崎由利(元スルガ銀行→三島→大鵬薬品)
佐藤光紗(→大鵬薬品)

 

<2009年11月27日:レオパレス21・廃部>
今後、「チーム引継ぎ」となるかどうか・・・

 

【廃部→親会社交代】
廃部してもその当時チームが強かったここに上げる2例では、新しい親会社が名乗りをあげてくれたおかげでそのままチーム全体として存続できるという幸運に恵まれた。規定として新規チームはクラブチームからの出発であるが、選手や監督がほぼ変わらないという特例も認められ2部からのスタートとなった。それでも2部から1部に上がるという苦しみも味わったわけである。

※大徳からレオパレスが引き継いだ年にチームの主要選手が変わらないということで特例で2部スタートが認められたがそれまではクラブスタートだったようだ。それをキッカケにその場合でも1部から参戦できるという規約改正がなされたようである。ミキハウスから引き継いだ佐川急便は、自ら2部からのスタートを選択したようである。この辺りに関しては今回のレオパレス廃部を機会に改めて問い合わせてみるとすでに改訂されているということがわかった。

ちなみに関東で佐川急便の試合が行われると必ず「佐川急便・関東」という大きな旗がスタンドに掲げられるのは、そもそもの出発が「関東支社から」だったからだろう。

<2001年:大徳・廃部→レオパレス21・引き継ぎ>
佐藤由希(→レオパレス21)
渡邉潤子(→レオパレス21)
薮内布由子(→レオパレス21)
柘植香奈子(→レオパレス21)
井上絵里奈(→レオパレス21)
白井奈保美(→レオパレス21)
**** **** **** ****
遠藤有子(→日立ソフトウエア)
吉岡亜由美(→大鵬薬品)

多くの選手がそのままレオパレスに残り2部からの再出発となった。ただし廃部した2001年、全22試合に登板し6勝16敗と全ての試合の責任投手になったチームの大黒柱の遠藤は、翌年1部の日立ソフトウエアに移籍した。2005年に当時しての最多勝記録(17勝)を樹立したように、移籍後の活躍はめざましいものがある。廃部当時から2部で投げさせるには忍びないような実力ある投手だったのだろう。ただ遠藤のいなくなった新生レオパレスは2部ながら外国人投手(コートニー・デイル)を補強し、1年で1部に返り咲く。
ちなみに大鵬に移籍した吉岡は出身が徳島。里帰りした形になった。

 

<2004年:ミキハウス・廃部→佐川急便関東(=現佐川急便)・引き継ぎ>
宗利美保(→佐川急便関東)
高木美晴(→佐川急便関東)
日高よしえ(→佐川急便関東)
中村歩(→佐川急便関東)
帰山悦子(→佐川急便関東)
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志水麻里(→旅亭紅葉・甲賀医専)
北牧典子(→旅亭紅葉・甲賀医専)
田中幹子(→織機)
江本奈穂(→織機)

多くの選手がそのまま佐川急便の選手として3部から再出発する中、すでに日本代表に名を連ねていた田中、将来の代表候補として嘱望されていた江本はさまざまな事情から移籍が許されて翌年から1部の強豪織機に移籍した。
北牧はベストナインも獲得した名選手。14人兄弟。次の志水とおなじく、旅亭紅葉・甲賀医専に移籍したが、なぜ佐川急便に進まなかったのかは、今のところ不明。志水と同様、わかり次第「その2」で詳しく書きたい。

 

【廃部(含リーグ脱退)チームのまとめ(かっこ内はその年の順位)】
1999
松下電工(1部・10位)
日通工(1部・11位)
IHIスカイブルー(2部・8位)
岩手東芝(3部・東5位)
ソニーボンソン(3部・東7位)
ブラザー工業(3部・中7位)
日清紡針崎(3部・中10位)
朝日工業(3部・中11位)
2000
日立工機(1部・12位)
浦島海苔(2部・7位)
NEC山梨(2部・8位)
2001
大徳(1部・10位)
2002
東邦銀行(1部・11位)
YKK四国(2部・3位)
山武(3部・6位)
日立岐阜(3部・7位)
2004
ミキハウス(1部・6位)
スルガ銀行(2部・5位)
2006
旅亭紅葉(2部・3位→甲賀医専との合同チームから単独のクラブチームとして再出発)
2008
三島中央病院(=関病院)(2部・6位)
2009
レオパレス21(1部・3位)
パナソニック電工津(2部・14位)
TOETECK(2部・15位)

 

※1999年までの3部地区制から全国統一の2、3部制への移行にともない、遠征費用の負担を考えて地方のいくつかのチームが廃部(あるいはリーグ加盟断念)したようである。ちなみに2005年まで3部制で、2006年からは3部を廃止し2部制に統一した。

 

<【写真】日立工機とスルガ銀行、東邦銀行とスルガ銀行と、2度の廃部・チーム消滅を経験した苦労人、中川原麻衣(Honda、上)、高橋千春(戸田中、中)と小橋葵(元大鵬薬品、下)。2度の廃部に2部への降格も経験しながらも自分を高め続け、現役最後の年に2部で最多勝も獲った小橋の姿勢などは、ソフトボール選手としての鑑だ>

※2度の廃部経験は他に日立工機と東邦で経験した小池裕子、布川由佳などがいる。YKK四国に在籍していた泉庸子(元松下電工)、平山薫(元日立工機)も、2度の廃部経験者かも知れない。

 

【中川原麻衣:日立工機(廃部)→スルガ銀行(廃部)→Honda】

【高橋千春:東邦銀行(廃部)→スルガ銀行(廃部)→戸田中央病院】

【小橋葵:東邦銀行(廃部)→スルガ銀行(廃部)→大鵬薬品】

 

(注)出来る限り正確を期すように何度も確かめましたが、もしかしたら間違っているところもあるかもしれません。
ここであげたのはあくまで追跡できた一部の選手についてであり、他に移籍の苦労を味わった選手も多いと思います。

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