【ソフトボール~激動の1ヶ月】

ソフトボール~激動の1ヶ月

 

リーグ戦が終わり、決勝トーナメントも終わった。直後に各賞も発表された。たまに思い出したかのようにテレビのバラエティーに五輪代表選手が出たりしているが、大きなイベントとしては12月初旬の授賞式を残すだけとなった。
来年に向けてチームが本格的に動き出すのは年明けからで、年内は激闘の1年の疲れを癒すかのように表面上は静かに過ぎようとしている。しかしながら、一部のソフトボール選手にとってはまさに今、リーグ終了後から1ヶ月の間に、激動の時が訪れそして過ぎようとしているのである。

この情景はプロ、アマチュア問わず多くのスポーツで共通のことであるが、シーズンが終了して来季への編成を行うに当たり、やはり何人かの選手はユニフォームを脱ぐことになるのである。

ただソフトボールに関しての特徴の一つがある。
それは誰がどういう理由でユニフォームを脱ぐことになるのか、ファンから見ても全く予想できず、結果的には理解しがたいことが多いことだ。
ファンが入手できる情報が少なすぎるというのが最大の理由だが、ユニフォームを脱いだ選手の気持ちや理由は、やはりいくらファンが詮索したところで同じユニフォームを着て戦ってきた仲間にしか本当のことはわからないだろう。
実はもうほとんど肩も上がらないくらいに体がボロボロだったということをあとで知り、現役中はそれを全く見せなかったその選手に驚嘆したこともあった。
女子だけの団体競技として寝食を共にしながら戦っている以上人間関係で難しい面も多く、そういう理由で引退してしまう選手もいるようだが、僕は逆に成績や編成だけでドライに来期の陣容が決まるのではなく、そういうウェットな状況が複雑に絡み合ってそれでもなんとかみんなが頑張って1年間チームを作り上げて戦うからこそ、ソフトボールという競技がこれほどまでに面白いんだと思っている。

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2006年、打率1割未満の絶不調だったレオパレスの渡邊潤子は、2007年に最後の花を咲かせるかの如く9番打者で打ちまくり、打率6位で最高のシーズンを終えた。決勝トーナメントでも上野から気迫の3塁打を放ちルネサス高崎を撃破したが決勝で織機に破れた。しかし彼女の脂の乗りきった最高のプレーの数々は、この年逃したレオパレスの初優勝達成を来年こそは成し遂げてくれるものと大いに期待を抱かせた。
しかしながらその年をもって、1部の大徳から2部で再出発したレオパレス時代を通しずっとチームを支え、主将も投手も4番も努めたレオパレスの精神とも言えるこの名選手が、ユニフォームを脱いだ。
佐野でラーメン店を切り盛りする元気なお母さんが、決勝戦での敗退後、いつまでもグランドを見つめて動こうとしなかったのは、娘が青春の全てをかけて戦ってきた最高の舞台をその目に焼き付けるためだったのだと僕が気づいたのは、渡邊が引退したことを知った三ヶ月後であった。


2007年、トヨタ自動車の切り込み隊長を務めチームでナンバーワンの成績を残した神田多栄も、その年限りでユニフォームを脱いだ。もし今年神田が選手を続けていれば、恐らく決勝トーナメントではデンソーとトヨタ自動車が対戦していただろう。
たまにスタンドに顔を見せる神田選手の顔を見るたびに、どうしてこの選手が引退せざるを得なかったのか、本人も続けたかったのではないだろうかと、複雑で残念な気持ちになる。


高校時代から抜群の素質を見込まれ、実業団に入団後も走攻守全てにおいて一流のプレーを見せていたHondaの新田愛実も、今年の春を境にチームを去った。前年度は全22試合にセンターで出場しHondaの7位躍進に大いに貢献し春先まではチームに帯同していたのだが。
まだまだ若い選手だ。どういう形でもいいから、またソフトボールに戻ってきて欲しいと心から願っている。


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翌年もそのプレーを楽しみにし、グランドで会えることを夢見、現役を続けることに全く疑いを持っていないような選手が、その翌年にはユニフォームを脱いでいるという事実には毎年とても悲しい思いをさせられるが、理由はどうあれ、今まで素晴らしいプレーの数々を見せてくれたことに感謝し、引退した決断に対してはよほどの決意の表れなのだろうと素直に尊重してあげようと思っている。

レオパレスが今年決勝トーナメントを逃した最大の原因は前半の不調であり、それはとりもなおさず渡邊潤子が引退した穴が大きすぎたためだと思っている。
しかしその穴を埋めるために頑張った永吉理恵は、最終的に打率3位に食い込むまでに一気に成長した。
引退した選手がいれば、それを補う選手が必ず出てくる。そうしてまた、ソフトボールの歴史は繋がっていくのだから。

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