【「マドンナカップ」の「マドンナ」について考える】

 明日から四国愛媛は松山でソフトボールのオープン戦「マドンナカップ」が開かれます。でもまさにその「マドンナ」について、今まで少し気になっていたのでこの機会にひとつ真面目に考えてみたいと思います。

【「マドンナカップ」における「マドンナ」】
 愛媛県や松山市では、県内や市内で行われる女子スポーツの大会名によく「マドンナ」がつきます。ビーチバレーの「マドンナカップ」も有名ですし、サッカーでもあったような気がします。
 一般の観光案内などでもよく「マドンナ」がキャラクターや名称として使われており、ある意味「(理想の)女性の代名詞」のような使われ方が定着しているようです。

 この「マドンナ」というのが、松山を舞台にした夏目漱石の代表的小説『坊っちゃん』の登場人物であることは有名で、また「坊っちゃんスタジアム」横のサブ球場の名前も「マドンナスタジアム」であることから、この「マドンナカップ」のマドンナも『坊っちゃん』由来なのは明らかです。野球日本代表の女子チームの愛称が「マドンナ・ジャパン」ですが、これも野球と松山と『坊っちゃん』の関係を考えたら(後述)当然『坊っちゃん』由来でしょう。ではそもそも元の小説『坊っちゃん』における「マドンナさん」が、いったいどういう人物として描かれているのか、案外知られていないのではないでしょうか。
 実はこれがちょっと厄介な問題だったりします(笑)

【小説『坊っちゃん』の中の「マドンナ」】
 「美しくて男性の憧れの的」として一般的に受け取られがちな「マドンナ」さんですが、確かに小説『坊っちゃん』の中でも「ハイカラで美しい女性」であると描かれていることは事実です。でも人間性はどうなのでしょう?坊っちゃんもこのマドンナに憧れたのでしょうか??

 「マドンナ」の人間性について小説の中では、「無鉄砲だけど曲がったことの大嫌いな一本気の主人公・“坊っちゃん”先生」と、坊っちゃんの盟友で同じく「少々乱暴ながらも正義感溢れる熱血漢である・“山嵐”先生」との間にこんな会話があります。

 山嵐先生「(あのマドンナという女性は)美しい顔をして人を陥(おとしい)れるようなハイカラ野郎(※1)だ」

 坊っちゃん先生「ハイカラ野郎だけでは不足だよ。ハイカラ野郎の、ペテン師の、イカサマ師の、猫っかぶりの、香具師(やし)の、ももんがーの、岡っ引きの(※2)、わんわん鳴けば犬も同然のやつだ」

 ※1ハイカラ野郎=ここでは「変に気取ったお高くとまった野郎」てな意味でしょう
 ※2香具師(やし)、ももんがー、岡っ引き=「正体不明で怪しくていかがわしくて卑怯卑劣で…」のような感じの意味でしょう

 どうでしょうか、この「マドンナさん」の言われようは。まさにボロカスですね(笑)。
 でも、なんで正義感溢れる二人からこんなにクソミソに貶(けな)されているんでしょうか?もちろん理由があります。

【「マドンナ」が嫌われる理由】
 「マドンナ」が嫌われる理由を説明するためにはあと二人登場人物が必要です。

「うらなり先生」~日陰育ちのカボチャみたいなパッとしない容姿だけど、心底人柄が良くて優しくて正直で、「坊っちゃん」もこの先生が大好きです。ただ人が良すぎて騙されて父親の遺産を減らしてしまいました。

「赤シャツ先生(教頭)」~大学出の偉い学士さんだけど、いつも気取ってキザで偉そうで、子分を従えては他人の非違を見つけ校長に密告して貶(おとし)めることを生きがいにしているような先生。「坊っちゃん」が蕎麦屋や団子屋に行ってるのを「教師らしくない」と糾弾するくせに、自分は子分と一緒に女郎買いして泊まり歩くようなことをしています。最終的には「坊っちゃん先生」と「山嵐先生」もこの「赤シャツ」の罠にかかって学校を辞めさせられてしまいます。

 そしてこの二人の間に登場するのが「マドンナ」なのです。実はマドンナは小説『坊っちゃん』の中では数回登場するだけで台詞は一言も発しません。その「マドンナ」の行動を簡単に説明すると以下のようになります。

(1)うらなり先生との間に縁談が進み婚約する
(2)うらなり先生が人に騙され財産が減ったことから縁談を延期する
(3)「マドンナ」の容姿に惚れた「赤シャツ教頭」が近づいてくる
(4)「うらなり先生」と縁談がありながら「赤シャツ教頭」とも二股密会を繰り返す
(5)「赤シャツ教頭」が「マドンナ」を奪うため「うらなり先生」を騙し九州の延岡に無理やり転勤させるも、特に何も行動を起こさず

 どうでしょうか。
 結果的に「マドンナ」と「赤シャツ」が結ばれたかどうかまでは書かれていませんが、マドンナが「優しくて人間性は素晴らしいけど生き方が下手なうらなり先生」を捨てて、「根性はひん曲がってるけど人を蹴落として出世していく赤シャツ教頭」に乗り換えたことは確実です。
 こういう女性を「正義感溢れる二人(坊っちゃんと山嵐)」が大嫌いになるのは当然のことですよね。

 特に山嵐先生は、転勤して行くうらなり先生に対して送別会でこんな意味のことも言ってます。

「延岡はド田舎だから、あんなマドンナみたいなはしたない性悪女はいないだろう。だから是非、うらなり先生は延岡で田舎の純粋で気の優しい素敵な女性を見つけて結婚して、早く幸せになってください」。

 一体どれだけ悪女なんでしょうか「マドンナ」は(笑)。

【そんな「マドンナ」でありながら…】
 言うまでもなく『坊っちゃん』は松山を舞台にした日本文学に残る名作です。
 その中で「とんでもない性悪女」として描かれている「マドンナ」をいろいろな所の施設名称として採用するとは愛媛県、松山市は一体全体何を考えているのでしょうか(笑)。

 松山と言えば俳人・正岡子規を介して野球とは縁が深く(下記、注)、そのせいかある意味「日本の野球の故郷・聖地」のような印象すらあります。そういう理由もあって、最初に書いたように女子野球の日本代表チームの愛称が「マドンナ・ジャパン」となっています。
 ただそもそも『坊っちゃん』における「マドンナ」というのは「とんでもなく根性の悪い女」なのです。
 だから女子野球の日本代表チーム「マドンナ・ジャパン」を詳しく説明すると、

「ハイカラ野郎のペテン師のイカサマ師の猫っかぶりの香具師のももんがーの岡っ引きのわんわん鳴けば犬も同然の・ジャパン」

 ということになってしまうのです。
 名称、愛称というのはよほど考えてつけないとエライことになってしまいますね(笑)

 しかし今なら「遊び人で根性の悪い自分勝手な女…」なんて直接表現してしまうのを、「猫っかぶりの香具師のももんがーの岡っ引きのわんわん鳴けば犬も同然の…」と表現する明治時代の方が、言葉に関してははるかに豊かだったように思えませんかね?

 とまあそんなことはひとまず置いておいて、ソフトボールの「マドンナカップ」は純粋に楽しんできましょう。メインイベントは2日目の日本精工v.s.愛短です(マニアックだな~笑)。


(注)「松山と野球と坊っちゃんのつながり」

 米国生まれの「Base Ball」に対して「野球」という訳語を付けたのは鹿児島生まれで鹿児島市民球場前に銅像も立っている「中馬庚(ちゅうまん・かなえ)」です。しかし野球のプレー用語に関して、例えば「打者、走者、四球、飛球」などという訳語を当てたのは中馬と同時代に生きた松山市生まれの俳人・正岡子規なのです。子規は野球が大好きで、自分の雅号の一つに本名の「のぼる」をもじって「野球(のぼーる)」と付けたほどで、休みになるといつも仲間を集めて広場で野球をしていました。野球を日本全国に広めた功労者の一人であるのは間違いありません。
 その子規が東大予備門(現東大教養学部)に入った時に、日露戦争で活躍した海軍参謀の天才で・幼馴染の秋山真之とともに同級生になったのが夏目漱石だったのです。
 しかもなんの因果か、漱石が東大卒業後に最初に赴任した学校が愛媛県松山の中学校で、その時の体験談をもとにして描いた小説が『坊っちゃん』だったのです。
 そういうわけで、「松山-正岡子規-野球」という関係性と、「正岡子規-夏目漱石-坊っちゃん-松山」という関係性を介して、「松山-野球-坊っちゃん」が一つに繋がるわけなのです。

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