【日本リーグの安打製造機は?】
今回は打者について、特に安打数に焦点を絞ってみたいと思う。まず歴代安打数の上位選手を見てみよう(2008年終了時点)。
1(←1):山路典子(太陽誘電) 221
2(←2):ミッシェルスミス(豊田自動織機) 209
3(←5):田中幹子(ミキハウス・豊田自動織機) 195
4(←*):馬渕智子(日立ソフトウエア) 188
5(←3):松本直美(ユニチカ垂井・日立高崎) 184
6(←*):山田恵里(日立ソフトウエア) 183
7(←4):北村武子(シオノギ製薬) 182
※カッコ内は前年度終了時点の順位。「*」は前年時で11位以下
松本は2002年に正式に引退。ミッシェルは昨年引退。監督兼任、コーチ兼任として選手登録している山路、北村は昨年度の打席数がゼロで実質的には専任監督・コーチである。
バリバリの現役選手としての最多安打は織機の田中だ。昨年も16安打を積み重ねて歴代順位を5位から3位にまで引き上げた。第2節、遅くとも3節には史上3人目の通算200安打に手が届くだろう。
ご存じの通り、ソフトボールは2002年のISFの国際ルール変更で女子の投捕間距離が約1m伸び、そこから記録が様変わりした。それ以前に選手としてのピークがあった選手は当然のことながらその恩恵を受けていないわけであり現在の打者と直接比較はできない。そんな中で200本以上の安打を放っている山路やスミスにはただただ凄いの一言であり、松本にしろ北村にしろ、歴史に名を残されるべき選手だろう。現役最多安打の田中も、97年にデビューしてから最初の5年間は短い投手間距離で試合をしており、そのハンデがありながら、安打数のみならず本塁打数、打点数でも歴代最多を競っているというのは驚異である。史上最強の打者ではないか。
しかしながらやはり、記録としての安打数となるとこれらの選手の記録よりもルール改正後に入社した選手が明らかに有利だ。特に現在、歴代トップを目指して猛追してきているソフトウエアの日本代表コンビ、馬渕と山田が、いずれ打者に関するほとんど全ての記録を塗り替えてしまうだろう。馬渕は2年目からのルール改正であり、山田はまさにルール改正の年に鮮烈のデビューを飾った。ソフトボール新時代の申し子である。
今回は主に、その新しい時代前後にデビューした選手数人の安打数に焦点を当ててその比較をしてみることにした。
__またしても前置きが長くなったのは、早晩破られるであろう過去の選手の記録にも、打者不利の前時代に残した記録としていつまでも輝かしいものがあることを忘れたくないからである。__
【過去3年の平均安打数】
安打数を比較するのに、まず2006~2008年の3年間における平均安打数上位20傑について計算してみた(下図)。20人並んだ名前はまさに今現在の日本リーグを代表する強打者ばかりだ。
この中で五輪でも活躍した馬淵や佐藤が約23本であるが、それを上回る上位4人が26本以上と他を引き離している。この4人が現時点での最高レベルの安打製造機と呼べるだろう。
【平均安打数25以上の4人について】
その4人とは、松崎絵梨子(太陽誘電、9年目、グラフは紫色)、山田恵里(日立ソフトウエア、8年目、赤色)、狩野亜由美(豊田自動織機、7年目、青色)、河野美里(レオパレス21、6年目、黄色)である。デビュー年がそれぞれ2001、2002、2003、2004年と、きれいに1年ずつズレているのも面白い。
この4人について、デビューからの打率の変遷(折れ線グラフ)と年間安打数(棒グラフ)の推移を示したのが下図である。
(松崎選手の記事が設定ミスで反映されていませんでした)
太陽誘電の松崎は長崎商業という並みいる強豪とは異なる地方の高校出身であるが即戦力として誘電に入った。
2001年のデビューであり、ここにあげた4人の中で唯一打者不利のルールを経験している打者である。
高卒1年目から58打席に立ち0.182の打率を残した。ルール改正後の2年目3年目には0.250を超えレギュラーとして十分な働きをした。初めて3割を超えたのは4年目の2004年で、その年に行われたアテネ五輪に若手として連れて行ってもいいのではないか、と思われるほどの活躍だった。
飛躍の年は2006年、0.388の高打率でベストナインを獲得した。翌年はやや落ちた打率も2008年に再び0.377と高打率。足も速く守備も巧く、新生日本代表に名を連ねてもおかしくはない実績をすでに積み重ねてきている。
同じ年齢であり東邦銀行から移籍してきた後に長年左中間を守ってきたレフトの前田智子が野球に挑戦するために昨年限りでユニフォームを脱いだ。戦友前田のためにももう一花咲かせて欲しい。
2002年に鮮烈なデビューを飾った山田であるが、打率のタイトルを初めて獲得したのが2006年というのが意外だ。それほど日本リーグで首位打者を穫るのは難しいのだろう。ただそれ以降は2007年3位、2008年再び首位打者と貫禄を見せつけている。金メダルを獲得した北京五輪は、彼女にとってまさに人生最高の力を発揮できる時期にバッチリと当たったのだろう。これはこと山田にとってだけではなく、日本にとって非常な幸運であった。
山田に次ぐ安打製造器として狩野の名を上げても誰にも異存はないだろう。日本代表の1番打者として決勝のアメリカ戦での先制タイムリーは永遠にファンの記憶に残るものであろうが、この狩野も山田と同じようにソフトボール人生最高潮が北京五輪に合致した。
1年目から大活躍し、2年目にははや打率が4割を超え山田以上の打者になるかと思われたが、3年目に大きな壁にぶち当たり打率が1割台に落ちた。しかしどうやらそれは狩野が越えるべく用意された壁であったようで、翌年再び打率を3割に乗せると翌々年にはとうとう首位打者を獲得し、そのまま北京五輪に向かうことになった。2008年は少し波が見られたがそれでも打率は0.350である。今年再び首位打者を奪い返したい。
山田、狩野が人生の絶頂期を北京五輪に合わせられたのに対し、生まれるのが1年遅く幸運を手に入れられなかったのがこの河野である。3年目に初の3割を3割台後半の高打率で残した彼女は翌年さらに打率を伸ばし、あと1打席、最終打席に立たなければそのまま首位打者であったという非常に惜しい接戦でタイトルを逃した。その4割台の打率を翌年さらに伸ばし、0.433という高打率をマークしたがさらに上を行った山田に敗れた。2007年、2008年と、狩野、山田という代表コンビにともに1打席、1安打の差で敗れたのは不運としか言いようがない。
この希代の天才打者も今年からは恐らく代表のレギュラーに名を連ねることになるだろう。今までの不運を奪い返すように、また8年後の五輪に向かって日本のソフトボール界を担っていって欲しい選手だ。
【4人の打者の通算安打数の変遷】
4人の打者におけるデビュー年からの積算安打数を示したのがこの図である。
1年目からブレイクした山田が、ペース的にも常に他の3選手を一歩リードしつつ毎年安打を積み重ねている。あと2年もすれば歴代最多安打を塗り替えるはずだ。
狩野も現在のペースとしては山田に匹敵するものがある。3年目にスランプに陥りつけられた差がそのまま残っている感じで、常に15本程度の差を追い続けている。山田が怪我でもしない限り、なかなかこの差を埋めるのはしんどい。
逆に徐々に差を埋めてしまいそうなのが河野だ。2年目までの安打数が少ないので、同じ年数では山田に20本以上の差をつけられてはいるが、1試合に3本、4本と固め打ちができる河野ならもしかするとトップに躍り出る日がくるのかもしれない。
松崎は5年目までは安打数の伸びが他の選手と比べて鈍く、そこでかなり差をつけられた。しかし6年目の2006年にブレイクしてからは、その後の安打数の伸びのペースは他の3人と比較しても遜色がない。積算の安打数として追いつくのはしんどいが、遅咲きで晩成型と思われそうな松崎のこと、今年か来年、首位打者を奪うような輝きの年が訪れるような気がする。
この3年間、他の選手を引き離して安打を積み重ねているこの4選手。今年はここにレオパレスの永吉理恵なども加わってくるかもしれないし、その1年前の永吉のように全くノーマークの選手の大ブレイクもあるかも知れない。ここ数年熾烈を極める首位打者争いや最多安打争いが、今年も楽しみだ。